2013年1月。私は、それまで長年心血を注いできた組織と、文字通りの「喧嘩別れ」で決別しました。

盤石だった基盤、信頼していたチーム、そして安定。それらすべてを過去に置き去りにして、私は新たな拠点作りを始める必要がありました。手元に残ったのは、これまでに培ってきた「仕組みを作る力」と、わずかな人脈だけ。40代前半、再出発としては、決して楽観視できる状況ではありませんでしたが自信だけはありました。

しかし、立ち止まっている暇はありません。私は東京で仕事上の付き合いがあった人物から、ある「ビジネスモデルの手順」を学んでいました。それは、Web集客を核とした「出張マッサージ事業」でした。

ゼロからの「仕組み」構築:大阪・東三国

東三国に拠点を構えたものの、最初は文字通りの「ゼロ」でした。店舗はなく、スタッフもおらず、もちろん顧客もいません。

私がまず着手したのは、これまで広告業界や素材集ビジネスで磨いてきた「集客の仕組み」を、この新しい業界に転用することでした。

  1. セラピストの募集: 誰もいない状態から、広告と面接だけで人を集める。
  2. Webサイトの構築: 自分の手で、夜通し掛けて「売れる」導線を作る。
  3. Google広告の最適化: 1円単位の入札調整で、確実に注文を刈り取る。

かつての「うちわ」の時と同じく、市場のニーズと供給をネットで繋ぐ。対象が物理的な「モノ」から「サービス」に変わっただけで、やるべきことの本質は変わりませんでした。

1年で月商200万円超へ

東三国の小さな事務所。そこが私の「司令塔」でした。
電話が鳴れば私が応対し、Webの数字を解析し、面接を繰り返す。

慣れない業界、しかもゼロからのスタートに、体力的にも精神的にも限界に近い日々が続きました。しかし、自分自身の手で一つ一つの「歯車」を噛み合わせていく感覚は、数人とはいえ組織のトップで仕事していた時とは違って、全てを自分で回さないといけない大変さがありましたが慣れたものです。

t「仕組みが自律的に動き始める瞬間」

それを最初に感じたのは、立ち上げから数ヶ月が経った頃でした。私が指示を出さずとも、広告から注文が入り、スタッフが動き、売上が積み上がっていく。

結果として、この事業は開始から1年後には月商200万円を超えてやっと収益が出る状態へと成長しました。大阪での孤軍奮闘が、一つの「成功モデル」として実を結んだのです。

立ち上げの強さと、見えてきた「次」の課題

この約2年間の東三国時代は、私に「自分は、ゼロから1を立ち上げる時の瞬発力が最も強い」という深い自己理解をもたらしてくれました。

しかし同時に、事業が安定し、ルーチン化した後の「長期運営」に対して、自分の熱量が急激に冷めていくことにも気づき始めていました。
「仕組みを作るのは好きだが、その仕組みを淡々と維持するのは、私の本来の役割ではないのかもしれない」

事業は順調。収益も安定。
しかし私の心は、また次の「未知」を求めて疼き始めていました。

それは、特定の業界に依存せず、より広範な人々の「仕組み化」を加速させるための、デジタルな力。当時はまだ影も形もありませんでしたが、その後のWeb制作への没頭、そして現在の「AIエージェント」へと至る道筋は、この東三国での孤独な格闘の中で、すでに静かに始まっていたのです。


[!NOTE]
次回予告:第7章「必要は発明の母:WordPressとGoogle広告、独学の泥沼で見つけた光」
苦手だったWeb制作を、なぜ自らマスターする羽目になったのか。外注から「自走」への転換点が、AI時代の武器となった。