第2章:小さなチームでソフト事業を走らせた4年間

Windows前夜、MS-DOSに「顔」を付ける挑戦

プログラミングを少し齧った程度の自分が、最初にのめり込んだのは「技術をどう見せるか」という領域だった。

1990年代前半。まだWindowsが一般に普及する直前の話だ。パソコンの画面といえば黒い背景に白い文字が並ぶだけの、いわゆるCUI(Character User Interface)が当たり前だった時代。その中で、僕たちは「計測制御ソフトウェア」という、非常にニッチで、かつ極めてシビアな世界に身を投じていた。

工場や研究所で使われるデータをグラフ化したり、機器を制御したりする。そんな無機質な道具に、僕たちはグラフィカルなUIを与えようとしていた。MS-DOSという無骨な土台の上に、いかに使いやすく、視覚的に訴えかける「顔」を作るか。それが僕の最初のミッションだった。

世界の巨人、Texas Instruments(TI)との戦い

僕たちのチームは驚くほど小さかった。開発責任者の部長と僕、そして数人のスタッフ。そんな「町工場のソフト部門」のような体制で、目の前に立ちはだかっていたのは世界の巨人、Texas Instruments(TI)だった。

彼らのソフトウェアは世界標準であり、圧倒的な信頼性とブランド力を持っていた。対する僕たちは、日本国内の小さな無名チーム。普通に考えれば勝負にすらならない。それでも、僕たちは国内の大企業――研究開発部門や設計、生産、品質管理の最前線にいるエンジニアたち――に会いに行った。

「TIのソフトは確かに凄いです。でも、日本の現場で、今のあなたたちの不便を本当に解決できているのはどちらですか?」

部長と二人三脚で、全国の現場を歩き回った。まだ「ソリューション営業」なんて言葉が一般的になるずっと前のことだ。現場のエンジニアが抱える「あと数ミリの痒いところ」を汲み取り、それをソフトの仕様に翻訳し、翌週には「これならどうですか?」とプロトタイプを提示する。そのスピード感と泥臭さこそが、僕たちの最大の武器だった。

「技術」を「事業」に翻訳する感度

結局、この事業は約4年間の奮闘の末、世界をひっくり返すような大成功には至らなかった。1995年、僕はその会社を退職することになる。

しかし、この4年間で骨身に染みた感覚がある。それは「技術は、誰かの課題を解決する『商品』になって初めて命が宿る」ということだ。

プログラムが書けるだけでは不十分だ。企画が面白いだけでも足りない。現場の言葉を技術の言葉に翻訳し、それを「これを買えば私の未来が変わる」と思わせる形にまとめ上げる。この「翻訳」のプロセスこそが、事業の本質だと気付かされた。

当時は、部長という強烈なエンジニアと肩を並べて走ることで、自然とその視点が身についていったのだと思う。

現代のAI開発にも通じる「手触り感」

今、僕はAIエージェントのプロダクト(inspireXgrowth)を作っている。

1990年代のMS-DOS画面と、2020年代のAIチャットインターフェース。技術のレイヤーは全く違うが、やっていますることは驚くほど似ていると感じることがある。

「最新の技術を、いかに現場の手触り感がある道具に変えるか」
「大手企業が提供する標準機能では届かない、現場の『歪み』にどうリーチするか」

あの時、部長と二人で熱く語り合った「計測制御ソフトの使い勝手」についての議論は、形を変えて今の僕の中に生きている。第2章は、この「小さなチームでの原体験」が、後の僕の事業観にどう影を落としていったかを振り返る上で、欠かせない1ページだ。


[次章予告] ネットも未発達だった時代、僕は「独立」という荒野に足を踏み出す。広告制作、チラシ配り、そして後に訪れる「素材集ビジネス」の波。30代を目前にした僕を待ち構えていたのは、甘くない現実だった。